• 陶々亭について

    元禄2年(1689年)、中国との貿易が最盛期を迎えた長崎は、中国から日本に停留していた約1万人の人々を住まわせるため、館内町に次々と唐人屋敷が造られ、すべての中国人を移住させることになりました。中国人と市民の交流は深まり、龍踊りや中華料理が長崎市民たちに引き継がれました。陶々亭は、この閑静な住宅街が密集する館内町の隣町、十人町に居を構えています。明治末期に建てられた和風建築を譲り受け、昭和24年(1949年)頃から「中華料亭 陶々亭」としてスタートしたのです。

    十人町は、飲み屋街から少し坂を登った場所に位置し、喧騒とは一線を画した落ち着いた雰囲気の中で味わう料理は地元のみならず、全国にもその名を響かせました。円卓いっぱいに大皿料理が並べられた卓袱料理の中でも、陶々亭は、豚の角煮やハトシ、ナマコやフカヒレ、燕の巣、ピータンなど、中華の定番メニューがメインとなる「卓袱中華」。誰にでも食べやすく、さっぱりとした上品な味が楽しめるのは、陶々亭のみだったと言われています。「数十年ぶりに来た夫婦が、確かめるように空間と料理を堪能した」という元女将の思い出話のように、心に残る、そして記憶に残るひと時を、多くの人が過ごした場所なのです。

  • 建築について

    陶々亭の建物は、明治41年(1908年)に当時の貿易商であった青田家の住宅として建てられました。古い建物や老舗が多くひしめく長崎でも、100年以上という建築物は貴重であり、「長崎市都市景観賞奨励賞」にも選ばれました。この由緒ある和風建築は、変わりゆく街並みの中でも、存在感を示し続けています。乱敷きの玉石に埋め込まれた飛石伝いに進むと玄関が現れるシークエンス、そして床の間や欄間などに見られる完成度の高い造りは、まさに当時富を築いた商家の建築を表しています。

    2020年に多くの人々に惜しまれながらも閉店した中華料亭 陶々亭は、オーベルジュとして生まれ変わるべく、宿泊施設、レストランとしてこの先何十年、何百年と愛されるために、当時の趣を最大限に残しながらも、快適性や利便性を加え、丁寧にリノベーションを施しました。純和風建築とヨーロッパのモダン家具を融合させ、歴史を肌で感じつつ、未来の交流の中心地となるような洗練された雰囲気に仕上がっています。ここからまた新たな歴史が刻まれようとしています。

  • 和華蘭文化について

    江戸時代に日本の貿易の拠点として栄えた長崎。この地で生まれたのが、「和華蘭文化」です。「和」は日本、「華」は中国、「蘭」はオランダをはじめとした西洋文化を指しています。鎖国時代、中国とオランダだけが幕府から貿易を認められていたため、当時の日本では貴重だった砂糖やガラス細工など、数多くの外来品が長崎に入ってきました。中華料亭 陶々亭で多くの美食家たちを唸らせた卓袱中華もそうして生まれた産物のひとつ。和華蘭文化から生まれた食や文化の多くは、今なお長崎の街に根付いているのです。

    日本と中国、西洋の文化が入り混ざった和華蘭文化は、寛永11年(1634年)から続く、秋の大祭「長崎くんち」でも体感することができます。地元伝統の催しものに、オランダ人をモチーフにした踊り、そして中国の龍踊りが披露され、3つの文化が混ざり合ったお祭りに、毎年大勢の人々が押し寄せます。食においては、卓袱料理のほか、長崎ちゃんぽんやトルコライスなど、和華蘭文化から生まれた料理は長崎の代名詞となり、街を歩けばヨーロッパや古来中国の伝統建築が色濃く残っています。